天国への階段
最近、歳のせいもあるがよく飲み会などで
彼女いないの?→何年付き合ってるの?→結婚しないの?
という3コンボもとい、ジェットストリームアタックを食らうことが多い。
もう適当にいなすのも面倒なので、下ネタを踏み台として「そんなことより河合あすなが中出し解禁したんですよ?半中半外ですよ!?真性ですよ!!!???」と強引にいつもの”俺”のペースに持っていくことにしている。
だって河合あすなですよ?それが半中半外ですよ?いや、河合あすなはどうでもいい。半中半外がエロい。誰がやってもエロい。これに関しては疑似でもいいから全てのAVは半中半外をスタンダードにするべき。AV監督みてるかぁ~!?
こんなこと言ってる奴が結婚なんぞするわけがない。
そもそもなんで結婚というものを国が、法が認めるようになったんでしょうかね?
プロポーズとか婚約指輪とか百本の薔薇とか、結婚に付随するもの全てがロマンチックな事ばかりなのに、急に「パートナーは法で認めるべき!」とロマンチックのかけらもないこと言いますかね?これは推測ですけど、ガチでモテなくて空気読めないし短小なゴミカス男が言い出したんでしょうね。お前がモテなかったのそうゆうとこだからな。
ちょっと話が変わってしまうと思うが、人間は考え過ぎてしまうことが多い。
小さい話で言えば、仕事で提出する書類で一言入れるか入れないかに何十分も考え込んでしまったりする。大きい話で言えば最近のLGBTだったり女性蔑視だったり多様性だったりハラスメントだったり、言い出せばキリがない。
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」
気圧なんかでよく使われる単位Pa(パスカル)の由来ともなった、数学者パスカルさんの名言である。パスカルさんには仕事上よくお世話になっておるのだが、私がよく使うのはPa×1000000=MPa(メガパスカル)なのでそんじょそこらのパスカルさんとは文字通り桁が違う。手のひらで乗用車一台くらいは持てちゃうくらいの圧力である。
そんなパスカルは人間を一本の葦に例えた。
葦はこれ。
スマブラだったら30%ぐらいでぶっ飛びそうなものにパスカルは例えている。
自然界で最も弱い人間であるが、考えることこそが偉大であり尊厳であると彼は言ったのだ。
だが頭がでかすぎては葦なんて簡単に折れてしまう。そう、僕は最近、人間が考え過ぎているように感じる。
多様性を認めるということは嫌いを言わないことでは無いと思うのに、好みについて語ろうものなら直ぐに難しい横文字をダラダラと並べて説教をたれる輩がでてくる。
性についてもそうだし、もはやなんでもそう。
俺は人類がどこを目指してどう進んでるのか分からなくなっている。
全人類がお手手繋いでみんな幸せ、みんな平和、喧嘩なんて一切許さない。なんていうユートピアの皮を被ったディストピアを本気で目指しているような気さえする。
ほんとに人間は今どこに向かっているのだろう。